安西祐一郎・中央教育審議会前会長、慶應義塾元塾長の読売教育ネットワークでの東大批判が凄いことになっています
記事の最後に引用されている記事「東大は、高校の授業改革を止めるな」も興味深いです。
また、この件は、「東大vs慶應 偉い教授たちが罵り合いの大ゲンカ勃発」との見出しで週刊ポストでも取り上げられているようです。
傍から見ている分には高みの見物で面白いというか、くだらないというか
受験生のためにも、収束させる意味でも、早く東大に結論を出してもらいたいものです。
異見交論55 「東大の見識を疑う」安西祐一郎・中央教育審議会前会長
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http://kyoiku.yomiuri.co.jp/ikenkoron.jpg 2020年度に始まる「大学入学共通テスト」に導入予定の民間英語試験(認定試験)を東京大学が活用するかどうかに注目が集まっている。この問題では、東大ワーキンググループ(WG)が7月、「活用しない」を最優先とする答申を五神真学長に出し、文部科学省が8月、実施に向けた進捗状況を公表した。こうした現状に対し、高大接続改革の設計に当たってきた安西祐一郎・中央教育審議会前会長は「答申が採用されて英語入試が矮小化されるなら、東大は時代の牽引者として国民が負託すべき大学に値しない。そんな大学に多額の税金を注入する必要はない」という。東大の責任とは、何か。(聞き手=松本美奈)
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■英語入試についての民間委託試験の活用
――2020年度、つまり受験の「2年前ルール」からいえば、タイムリミットの現段階になって、外国語、特に英語の民間委託試験反対の答申が東大学長に提出された。内部議論とはいえ、多大な影響がある。高大接続改革が大きな曲がり角を迎えたことになる。
安西 初めに申し上げておくが、東大は国民の負託を受けて多額の税金が注入されている明治以来の国策大学だ。運営費交付金だけで824億円。京都大学は544億円(いずれも2017年度予算)、その比率は「東大の3分の2」。帝国議会の決定のままだ。それだけでも、立場は分かるはずだ。その他にも他大学を圧する多額の研究資金などが税金で賄われている。東大は国家のための大学として、世界の転変の中でわが国と世界の未来を創っていく、またそのためにリーダーシップを取れる卒業生を多数輩出して世界の一流大学として人材ネットワークを創り上げていく、その牽引者たるべき責任がある。現状の東大入試は、この大きな責任を全く果たせていない。
とりわけ英語入試だ。受験の期日も場所も狭く限定されたペーパーテスト中心の内容では、世界から優秀な学生を集めることなどできはしない。わが国の高等学校教育、特に英語教育を変える牽引者にもなり得ない。世界に通用しないローカル大学としての東大を表現する最高(あるいは最低)のものが、現在の東大入試、特に英語科目なのだ。 その意味で、五神学長に提出された答申は、わが国の未来を創り出す責任を背負った東大の今後あるべき姿とかけ離れた、見識を疑う内容の答申と言わざるを得ない。一読して、答申を書いた人たちは英語ができないに違いないと思った。
その一方で、答申の後に出た文部科学省の見解を読むと、民間委託試験における受験費用や場所、ミスやトラブルが起こったときの対処方法などについて、触れてはいるもののまだ詰められていない点がある。
■経済格差を是正したい
――確かに文科省文書は、いま指摘されたような懸念にこたえているようには見えない。
安西 受験費用や場所の確保は、最も重要な課題だ。家庭の経済格差や地域差によって受験機会に差が生じることは許されない。低所得層の受験生に対する受験費用の支援、交通が不便な土地に居住している受験生の受験場所の確保などについては、国が責任をもって対応する必要がある。このことは国の側も理解していると考えている。ところが、現在の大学入試、とりわけ東京大学をはじめとする国立大学の入試は、経済格差や受験場所の確保の問題にほとんどこたえていない。
――公正性についても懸念されている。文科省の文書によると、ミスやトラブルが起きたら、「それぞれが実施している範囲について責任を負うことが原則。民間事業者等の採点ミスについて、センターや大学が責任を負うことは基本的には想定されない」と記されている。これでは、丸投げと批判されても仕方ないではないか。
安西 民間委託先でミスやトラブルが起こったら、委託先が責任をもって対応すべきだ。このこと自体は文科省の言うとおり。ただし、実際に起こったときの具体的な対応策はしっかり決めておく必要がある。この点が文科省の文章には書かれていない。まじめに取り組んでいる受験生に不利にならないように、ミスあるいはトラブルの内容(想定外のことが起きた場合も含めて)によって対応を決めておくこと、場合によっては再試験を迅速に行うことを、文書による契約事項の一部として民間委託先に義務づけるべきだ。
対応の方法自体は、内部で入試業務を丸抱えしている大学が現在、行っているのと基本的には同じことだ。違いは、大学側が自分のこととして責任を取るかどうか、ということになる。今、学内丸抱えで入試を行っている大学で深刻な採点ミスが続発する事態が起きているが、大学内部であれば責任は各自が取るのだからよい、とでもいうのだろうか。答申の意味がわからない。
民間委託による不祥事の発生を恐れて大学内部だけで入学者選抜を行うことにすれば、当然、教員の負担が増える。実際、いろいろな仕事が増えて研究ができない、という大学教員、特に国立大学教員の大合唱が聞こえている。それでいいのだろうか。民間委託を否定する東大答申も、そうした点で矛盾がある。
――民間委託では試験問題の質が担保できないのではないか、という意見も聞くが
安西 民間の試験問題では質が担保できない。その一方で、英語の「書く」「話す」の試験を大学内部ですべて請け負うことは、教員の負担からいって不可能だ。ということだとすると、英語の「書く」「話す」力(単に書ければよい、言えればよい、ではなく、しっかりした構文構造と語彙で論旨明快に表現できる力)を評価する入試、一次試験はできないということになってしまう。これらの力こそ世界水準の学生に求められる力であり、それを一次試験で全く評価しない、ということでは、東大は世界水準の大学に決してなれないだろう。また、一次試験では「書く」「話す」力を見ないということでは、東大は高等学校の英語教育の牽引者たることも不可能になる。高校英語教育に「書く」「読む」を入れていく(これらの授業の割合が小さいのが現状であり問題点)ことは時代の趨勢だ。
こう考えると、まずは高校教育の実を上げて一次試験受験者のレベルアップを図る。そして、外国語科目の一部を民間委託して学内の負担を軽減する。その上で、独自の二次試験を通して、改めて東大卒業生として世界に通用すると思える受験生を、点数にのみにこだわらず自分たちが責任をもって合格させるべきだろう。
民間委託の試験問題は質が低かったり不安定だったりするから心配、という見方は、入学者選抜から卒業時点のディプロマポリシーに至る総合的な観点の中で考えると、あまりに偏った見方だと思う。民間委託の試験だけで合否を決めるわけではあるまいに。